- 島根鳥取へ行く前のこと
- 島根鳥取旅行1日目
- 川京で創作郷土料理を楽しむ
- 島根鳥取旅行2日目その1(出雲大社)
- 島根鳥取旅行2日目その2(日御碕)
- 島根鳥取旅行2日目その3(稲佐の浜~島根県立古代出雲歴史博物館)
- 島根鳥取旅行2日目その4(昼食とおやつ)
- 島根鳥取旅行2日目その5(旧大社駅~出西窯~一畑電車)
- 島根鳥取旅行3日目その1(境港)
- 島根鳥取旅行3日目その2(昼食~美保神社)
次に向かったのは、稲佐の浜。国譲り国引き神話の舞台で、神在月に八百万の神々がやってくるのをお迎えする神迎神事が行われる神聖な場所。普段はふつうの砂浜として、夏には海水浴客で賑わい、「日本の渚百選」にも選ばれている。砂浜にひときわ目立つ、王蟲にしか見えない島は「弁天島」。
ここで、国譲りの神話についてざっくりと説明。
アマテラスが出雲の豊かな国を見て、「あの国すごく豊かでイイナー…、つかあいつ私の子孫でしょ?譲るべきじゃね?」と支配者オオクニヌシに使者を送るも、使者がことごとく懐柔されて失敗。業を煮やしたアマテラスは、第3の使者として最強の神タカミカヅチを送った。
ウ・ン・チ・ク
イザナミが八百万の神を次々産み、最後に火の神であるカグツチを産んだとき、大やけどを負って死んでしまう。怒り悲しんだイザナギはカグツチの首をはね、そのとき噴出した血から産まれたのがタケミカヅチとされている(諸説ある)
アメノトリフネに乗ってやってきたタケミカヅチは、この稲佐の浜で、突き刺した剣先にあぐらをかいて座り、オオクニヌシに国譲りを迫った。オオクニヌシが「息子たちにきいてみる」とはぐらかしたので、息子のコトシロヌシに訊ねると、「ボク争い事は好きじゃないんだよね~」と譲ることを勧める。しかし、もうひとりの息子タケミナカタは、譲ることに大反対。タケミカヅチに戦いを挑むも返り討ちに合う。そんなこんなで国譲りが成立してしまった。
タケミカヅチとの勝負に敗れた、オオクニヌシの息子タケミナカタ。とっても力持ちでとっても大きい。あまりに大きいので、神無月にタケミナカタだけは出雲へ出向かなくて良いらしい。
また、コトシロヌシはヒトコトヌシと同一という見方もあるらしい。メガテンではこんな姿で出てきた。豚…?3あたりからはもう少しシュッとした感じになっていたはず。質問されたときに釣りをしていたり、国譲り後は海にもぐってしまったりというイメージから、えびす様のモデルと言われている。
弁天島は、地元の人には「べんてんさん」と呼ばれて親しまれ、旧暦6月15日には「灘祭り」が行なわれているとか。『あたらしい出雲旅行』の表紙にもなっている。少し前まで松があってそれがまた良かったのだけど、朽ちてしまったらしい。残念だけど仕方ない。
本当に絵になる風景。
次に向かったのは、島根県立古代出雲歴史博物館。ここも今回の旅で、特に行きたかったところのひとつ。
現在の出雲大社本殿の高さは24メートル(これでも高い)だが、かつてはその4倍の96メートルあったと言われている。
明治時代から研究者の間では「当時の木造建築技術でそんな高さの建造物を建てるなんて、無理無理!ぶっちゃけ神話だし~?」と思われてきた。それがなんと、2000年、出雲大社拝殿の北側で巨大な3本ひと組の柱根が発掘されたため、一気に現実味を帯びた話になってきた。
直径約1.35メートルの杉の柱を3本束ねたもので、鎌倉初期の造営と推定。そしてその柱や文献をもとにつくられたのが、この模型。古代出雲大社本殿の1/10スケールだが、それでもかなり大きい。
また、雲市斐川町(当時は簸川郡斐川町)で出土した358本もの銅剣の数々も展示されている。出土した場所は、荒神谷遺跡として国の史跡指定に。
さらに、雲南市加茂町岩倉の丘で発見された39個の銅鐸。この場所は、加茂岩倉遺跡は国の史跡指定となった。
は~!ほ~!と感心しながら妄想をふくらませていたら、ついに雨が降ってきてしまった。
ここいらでお茶にするかーと向かったのは、博物館の中にある maru cafe。ここでは、勾玉クッキー付きのカプチーノを。いくつか選べたけれど、やはりここは博物館のキャラクターである雲太くんと出雲ちゃんにした。カフェはガラス張りで明るく、静かでとても落ち着ける
時間があれば、もう少しゆっくりしていきたかった。つづきます。